山田郡大間々町
(2006年3月27日みどり市として他1町1村と合併予定)
人口:28,431人(2006年現在)
町の木:カシワ
町の花:サクラソウ、キク
町名の由来:渡良瀬川によって形成された河岸段丘を間々(まま)と呼び、その間々が町の至るところにあることから。
さて、とうとうこの”地図から消える街”シリーズも最終回。
大トリの大トリは、大間々町。
かつては足尾から銅を運ぶ、
銅山街道(あかがねかいどう)の宿場町として栄えた大間々町。
現在も県内の道路標識や県道名に”大間々”の名が多いのも、
その名残りと言われています。
近年は観光地としての発展を目指しています。
町の北東部には小平鍾乳洞があり、
小規模ながら学術的には貴重な鍾乳石を見ることができます。
また、小平川の清流を生かした親水公園は、
夏でも冷たい川の水で涼を得ることができ、家族連れでにぎわいます。
(こちらも
すずきさんのブログ参照)
北西部には県内有数の初詣客が訪れる
貴船神社があり、
交通安全の神様として、車が欠かせない群馬県民に親しまれています。
市街地には旧群馬銀行の歴史ある建物を博物館として存続した、
歴史民俗資料館(通称コノドント館)があります。
コノドントというのは、1ミリに満たないような小さな生物の器官の化石で、
大間々高校の教諭だった林先生が研究し、
その筋では有名になったため、この名が冠されました。
夏には”おぎょん(お祇園)”と親しまれる、
大間々まつりが毎年開催され、通り沿いに屋台が並んでにぎわいます。
東部には紅葉がきれいな高津戸峡、はねたき橋があり、
ハイキングコースも整備されています。
(またまた
すずきさんのブログ参照)
またこの高津戸峡の断崖の上に建つながめ余興場は、
昭和初期から残る全国でも数少ない劇場で、
幾度となく取り壊しの危機を向かえましたが、
現在は有志によってその運営が存続され、
梅沢登美男氏などにも愛され、現在も利用されています。
産業では農業や養蚕業、桐生近辺ということもあり、
織物業を営む家も多かったですが、現在はやはり減りつつあります。
上州手振りうどんの
星野物産や、
県内を中心に展開するホームセンターの
セキチューは、
大間々町で生まれました。
銘酒赤城山の醸造元である
近藤酒造も大間々生まれです。
みどり市は対等合併であることを重視し、
県内初の総合サービス型分庁方式をとります。
他の自治体は母体となった市が本庁、
合併した町村の旧役場が支所となっているのに対し、
この方式ではたとえば市長室や総務部は笠懸庁舎、
市議会、教育部は大間々庁舎、観光政策部が東庁舎などと、
組織自体が分散する方式です。
さて、うまくいくかどうか・・・。
大間々町ホームページ